涙が溢れるのは、まだその心が生きているから
+鳥篭の天使+
天使U(ユー)はその背に持つ白い翼を大きく広げ、いつものように人間界を見渡す。
Uが最近思うこと、それは人間の涙は非常に美しいということ。
嬉し涙、悔し涙、悲しみの涙そして、苦痛の涙。
そのどれもが美しいと、Uは思う。
(何故なら、それは人間が生きている証だから)
自分のその考えを少し残酷だと思いながら、Uはいつもの場所へ向かった。
鉄の扉、厚い壁。
ここはUにとってすでに通いなれたところだ。
広い屋敷の一角にあるその閉鎖的な建物の前へ降り立ち、Uはゆっくりと中へ踏み入った。
中は外観より遥かに住み心地の良さそうな空間。
べっとにソファ、絨毯にテーブル。
しかし窓には鉄格子がはめられている。
Uが部屋の中央まで歩くと、突然鉄の扉が閉まった。
「おかえりU。散歩は楽しかった?」
振り返ると、意地悪そうな笑みを浮かべた少年のような青年。
この人間が今のUの全てを握っている。
「はい。晴れていたのでとても気持ちよかったです」
Uが少しだけ微笑んで返すと、青年は優しく微笑んだ。
「そう、それは良かったね」
Uはじっと青年を見つめる。
青年はUの視線に気づき、嬉しそうに笑った。
「ああ、そうだったね。これを渡さないと」
青年はUに黒い水晶のような珠を渡した。
Uはそれを大切そうに握りしめた。
黒い珠は天使の力のもとになるもので、これがないとUは能力が制限されてしまう。
もちろん、Uも渡したくて渡しているわけではない。
Uが大人しく捕われているのは、すでに他の珠を青年に奪われているからだ。
天使の珠には三つの種類がある。
身体能力など、身体的なものをつかさどる命の珠。
天使の国と人間界の行き来など情報をつかさどる知の珠。
攻撃や治癒をつかさどる精の珠
今Uが青年に奪われているのは命の珠。
そして外に出る時の交換条件で知の珠を渡させられるので、Uが常に持っていられるのは精の珠だけだ。
「せいやさん、何故こんな事を」
「その質問は聞き飽きた」
いつものやり取り。
青年は微笑んでてにもつ命の珠を強く握った。
Uの体が急に重くなる。
強い圧迫感。
「やめてください」
「そんなに嫌ならその珠で俺を止めればいいだろ?」
青年は力の珠を指差しながら言った。
Uは困ったように顔で青年を見る。
「そんなこと……できません」
天使は人間を傷つけられない。
まして天使の中でも優しい性格のUはどうしてもそのような行為に移すことが出来ない。
それを知りながら問う青年は楽しそうに笑った。
Uは少し悔しそうに青年を睨む。
「そうだ、もう三時だね。お茶にしようか」
腕時計を見ながら青年は言った。
この部屋には時計がない。
そして窓も一日のほとんど閉めきられた状態なので時間を把握する事が出来ない。
青年はお菓子とお茶の用意されたテーブルへUを促した。
椅子へ座り差し出されたお菓子を一摘み。
そしてそのまま口へ放り込む。
「……おいしいです」
言うと、青年は嬉しそうに笑ってさらに勧める。
Uはお菓子を摘みながら嬉しそうに笑う青年をチラと見た。
そして思う。
(ああ、やはり私はせいやさんを嫌いになることは出来ないようです)
監禁生活に不便さを感じながらも、Uはこの青年を少し愛しく思った。
「さて、そろそろ行こうか」
しばらく食べたところで青年はゆっくりと立ち上がった。
そしてUについて来るようにと促した。
Uはそれを見て瞳に少しの迷いを浮かべる。
Uの体が勝手に震え出す。
「U」
咎めるような呼びかけ。
「……嫌です」
青年がゆっくりと近づいてくる。
「U」
今度は優しい声で。
「U」
そして少し寂しそうに。
青年はUの頬にそっと触れた。
青年のあまりに寂しそうな声に、Uは青年を拒絶する事への罪悪感を覚えた。
だが、Uの身体は以前青年に与えられた苦痛を確かに覚えている。
動かす事の出来ない手足。
痛みにより流れる生理的な涙。
懇願しても止まらない暴力行為。
Uの身体がさらに震える。
「U」
顔を上げれば青年の美しい瞳。
それが段々黒みを増すのが分かった。
Uの顔からサーと血の気が引いていく。
「……すみません。わかりました、行きます」
震える声でUが答えると、青年は満足そうに口の端を上げた。
そしてUの筆に優しく触れ強く掴み、目的の部屋へと誘導する。
やがて流される涙はその天使が生きている証。
Uは目を閉じて思う。
(それでも、泣いているのはせいやさんでしょう)
心の闇を発散出来ないことからくる暴力衝動。
涙を流すことができないという青年。
それがどれほどの辛さだろうかとUは胸を痛めた。
Uが解放されるのはそれから数時間後。
(2006.05.17)